いや〜!!!!! なんと2010年も早くも残るところあと1日!!!!! ひとつ前の自分の投稿に習えば、あと1/365を残し、1年を4/4拍子の1小節とするならば、およそ1拍90連符くらいの残りというところでしょうか。なんという放置!

10ヵ月近くも放置して本当に申し訳ありません。12/30付けの自分の日記にも書いたのですが、どうにも赤本で燃え尽きてしまったところに、なんだかんだと仕事がかぶさってきた結果長いスランプのような状況、いやともすればこれが本来の自分なのでしょうけれど。と、言い訳がましく独白してどうする。

さて、行動し思考する主体として個を深めるという前回の編集S氏の内容は、実にリレーのたたき台というよりも、今になってこうして読めば、やはりこれでひとつの答えではないかと思うのですね。あの中にある責任という言葉について、これはいろいろ感じることもあって、それは自分にも他者にもなんですけれど。

1年の締めくくりということも含め、この10ヶ月にあったことを思い返してみると、ツイッターがかなりツールとして大きなポジションになってきたなと思っています。このブログや自分のサイト、mixiでやっていたようなことが、小さなアクションの刻みで発信になっていく、そして他の人もより細かく絡んでくる。これはツイッターをやっている人達の多くが感じる「あれ?なんだか予想と違うおもしろさ」だと思います。

そして、編集Sさんの影響を受けて読み始めたのですが、ジャーナリズムに携わる人達のツイートが実に面白く、ニュースなどの速報性はツイッターのとても強いところだと思います。文章が短いので、皆発言を工夫するし、難しい内容でもとりあえず読みきれる。チャットのようでもあり、発信された情報の収集も、知人との対話もできる。これを開発した人はどこまでこの状況を確信していたのかわかりませんが、実に面白い。

で、このブログを放置していても、実際Think Difficultなメンバーの疎通はツイッターできてしまっていたし、まぁそれは3次元での対話も含めですが、動きは自分の中では止まっていなかったというところがあります。それよりも脳内交流としてはむしろ微動細動しながな加速していたようなところも。自分のサイトも含め、こうしたブログ的なものは多少アクションに労力がいるように感じるようになったのも否めないですね。

そんな中、ツイッターっていうのは老若男女、様々な人達の意見を垣間見ることができる。なんとなく、僕らがただ部屋の中でしゃべっていたことが、通りがかった人達が聞いていたり、また意見を求めることもできるというようなところがあります。そうしてみると、たとえば自分の中で「若者」という代名詞で括ってきた人達も、みなそれぞれに日々の生活に感動を求め、そして音楽に対して自分たちの考えを持っている。無論そこに私は共通の言語が見つけられないということはあるのですが、そんなふうに思いながら「職業観」ていうものを少し考えるようになりました。

たとえばドラムマガジンは、なぜあのように難しいと評されるのか。中学生や高校生が気楽に読める物がない…というようなことはもう何年も言われてきましたが、僕らの世代がドラマーの何に憧れているかというと、その仕事っぷりじゃないかなと思うのです。まぁそれは私だけかもしれませんが。だから、テレビに出たりCDが売れている人達っていうよりも、音楽に対してドラムに対して認めるべきものを持っているドラマー→時代を生んだドラマー→職業ドラマーというようなものにフォーカスを当てやすいというか。スティーヴ・ガッドがなぜ今になっても取り上げられ、スティーヴ・ジョーダンが、ポンタさんがとなる背景には、職業観や生き様を見ようとするドラマー気質があるようにも思います。これはある意味ドラマー特有かもしれず、ドラムという楽器をやっていると、そういう人格が増幅されるのかもしれません(笑)

このところの若い人達は「職業観の呪縛」が薄らいだ中で成長しているように思います。古くは終身雇用の崩壊であるとか、職業や仕事というものの中での社会の歪みやハラスメントもあるといえばあるでしょうから、そういったものを取り除こうとした結果なのかもしれません。そして職業観が無くなってしまうと、特に音楽の分野などでは、なんのために自分を高めるのか、ということが希薄になるのかもしれません。

職業観が無いのだったら、職業訓練校である専門学校は何をして良いのか。大学もただの暇つぶしに拍車がかかってしまうのではないか。しかし職業観を持たせるには、もう社会が自由すぎるのかもしれない。

まぁそれでもいいのかなとは思います。たとえば自分が「音楽はこうでなければならない」と言い過ぎれば、それは相撲の世界みたいな凝り固まりになるかもしれない。まぁ実際自分が気にするのは音楽として出来が良いかどうかだけなんですけども。また、若い人達も、別段どうでも良いとか社会に対する不満が爆発ということでもないわけですが、なにかがおかしいなと感じはしつつも意外に今の社会にそれほど文句も言わずに結構マジメで聞き分けが良いという印象もあります。

職業観が支えてきたもの、それがなんであるかがわかればわかるほど愕然としてしまうところもあるのですが、それはまた自分がそれが当たり前の時代に生きたからだけなのかもしれません。まぁ若者の卒業後の動きを見れば、結局は「言う事聞かないと金もらえない」というところでの「服従というモード」はあるようで、それが故に、仕事を成し遂げる=クオリティを知るということだけが無くなっていき、雇用関係は結局たいして変わっていないというようにも思ってみたり…。

ということで、そんなことをうっすら考えてみて、どうやら違う方向で自分も力を出さないとこりゃ意味が無いかも、というところで今年はどうやら終わってしまいそうです。

来年もどうぞよろしくお願いします!

(笑)

オヤジM

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