うわぁ……今回のお題は、少し考えてみても何も出てこないですねぇ……。とはいえ、まず考えの端緒だけでもと思い、よく世間で言われていることを取り出してみようと。そして、思いつくままに、顧みも推敲もせずに、しかも自分のことは完全に棚に上げて、ずらずらと並べて挙げてみます。Think Difficult!

◎主体的かどうか?

これは、体力が漲ってくることの必要条件でも十分条件でもありませんが、体力という、まさに“エナジー”の部分の源にあるものの1つであるとは思います。それも精神論なのかなぁ~? しかし、主体的であるがゆえにカラ回りすることもあったり、主体的であるがゆえに冷静な状況判断を損なうこともあります(一般論ではなく、経験談です)。で、世の中には、特にマスゴミの得意技ですが、マスゴミ自身が、その“冷静な状況判断”の視点者であるように振る舞ってますよね。その視点だって、まったく定まっていないし、そこに視点を定めた理由すらない場合も多々ある。でも、そのマスゴミという虚像の影響もあってか、みんな“冷静な状況判断をする主体”にならなきゃいけないかのような妄想の中で暮らしているのかもしれない(←要出典)。つまり、「私はこれが好きだ」と言えない状況。そんな状況はホントにあるのでしょうか(笑)? いわゆる“右へ習え”、“出る杭は打たれる”的な風潮は今でも脈々と続いており、“個”というものの在り方が全然深められていないという想いは深くあります。“個”が、“個”と、真っ向から対峙することができない。そういう人間関係の中で、「僕はコレが好きです。なぜなら~」までを、自分自身のこととして語ることがとても希薄なのではないかとも思えてきます……。

音楽を聴くこともそうですが、演奏する体力の方にも、この話は当てはまるのかも!?とも思えます。そもそも演奏することに主体的かどうか?=つまり、演奏するモチベーション=“動機”がない。すべて動機がなければいけないのか?といったら、そんなはずはまったくありませんが、その合理性(達成するために目標を設定する)によって、達成しようという欲求は働きますよね。もう10年前にもなりますが、若手のバンドにいっぱいインタビューをしましたが、「楽しいからやってる」と発言した人(ドラム限らず全パートで)が結構いました。もちろん、「楽しい」「だから」「演奏してる」、って立派な動機ですよね。でも、裏を返せば、楽しくなくなったら辞めるの?ってこと。実際、それで僕が取材をしたバンドが、今、いくつ残っているか。もちろんミュージシャンとしては活動してるのかもしれませんが……。

ドラムを始めたことが“主体的であったかどうか”を分析することでMさんの問いに答えられるわけではありませんが、まず主体的であったなら、そこをドラムを続けたり音楽が好きであることの拠り所の1つにはしますよね。後づけででも。

◎昔は良かった、のか?

今、どういう形であれ音楽に献身している人は、昔から音楽が好きだったのだと思いますし、そういう人にとって人生の中で音楽の占める割合は大きかったと容易に想像できます。でもそれは、極端な言い方をすれば、音楽しかなかったのかもしれない。でも、音楽好きな少年が、そっくりそのまま今の時代のタイムスリップしてきたとすると、彼も音楽どころではなくなってしまうかもしれない。そう考えると当然、今の若者と昔の若者を単純比較することはできないし、むしろ、昔は良かったと言う側が、そもそも昔、興味の幅が狭かったのかもしれない。もちろん、今の若者が音楽以外のものに情熱を注いでいることを信じているからこう言うのですが……。

以上、リレーの叩き台(叩かれ役)となるべく、完全に自分を棚に上げて発言しました。それはそれで自分ではないような気もして面白いですが、これこそが、さっきの“主体的”の話とリンクするのであれば、主体的であることには責任が伴うわけですね。その責任から逃れることはとっても楽かもしれない。マスゴミがそれであり、自分もその徒党の一味であったりすることも……ないようには気をつけていますが……。

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