なるほど、編集はツールを使う以前に出口は見えている…。私の言ったことはそれを反対側から見た、ツールを使うシチュエーションはあっても実際にはブラックボックスに通す作業を通っていない=編集されていないものが流布される。そこが、seimjの言うデジタル側から見ているということなのかもしれないなと少し思いました。

今ちょっとビックリしているのは、自分もまた「自分のフィルターを通す」という語彙で自分の中に同様の考えをもっていたものの、やはりともすればブラックボックスを通さずツールを通して済ませていることがまだまだあるのだなということです。あたかも粉をふるいにかけて、水回しをして、手でまんべんなく感触を確かめ、塩梅を見ながら寝かせて、そしてまとめてこねていく…。それを、ふるいの行程、水回しの行程、混ぜ、寝かせ、と機械化していくことで失われてしまう何かを求めていながら、やはり何かの拍子にその作業を機械的にしてしまっていることがある。
自分が、今まで、そして今現在「うまくいっていない」と感じた仕事は、すべて自分のブラックボックスを通す作業を自ら回避していたり、周囲がそれを要求していない状態で進めなければならなかったり。そもそもツールと自分の区別が付いていなかったり、したものだったなという反省に、改めて帰着した感があります。

あぁなんだかわかりにくいですね。うまく文章にできていないけれど、あぁなるほどこれがアナログ側とデジタル側とも言えるし、それを行ったり来たりしている自分の姿を客観的に見てしまった。まるで小説の中で、犯人がこちらを向いた瞬間に、それが実は自分の顔だった!みたいな衝撃。あぁ実はツールではなく俺自身が犯人だったのか。俺じゃない俺じゃないと言う気持ちが、実はブラックボックスを通すという「指紋を残す」に等しい行為を忌避していたのかもしれません。それは他人からすると「本気ではない」「嘘」に見えるのでしょう。あぁまたしてもいろいろな点がひとつの線につながっていく…。今の自分の問題がここに集約されるなぁ。

まぁこんな自意識過剰な自白は置いといて(笑)、seimjの言う自己本位であるとか「自分を信頼する」という事に関しては、そういう言葉自体が前面に出てくるところに、そこに葛藤があると感じるのですが、それがクオリティに対するものなのか、それとも「自分自身にとっての意味やストーリー」は熟考を重ねつつも、実際の形にすること、表現としてアウトプットすることに対して感じたものなのかと思うところがあります。

私の中の個人的な割り切りとして、外に出したものはすべてデジタルだと思っています。日記にしろ原稿にしろ。頭の中にあるもの、心の中にあるものを文字にして外に出した瞬間に1/100くらいに削げてしまう。ただ、10文字のタイトルがあったときに、それが黒い色で印刷されていると違和感があるのだけれども、赤だと納得がいく。そんな部分での補填をデザインとか編集作業に求める気持ちがあります。そこはseimjの言うところの「情報にする」というところですよね。こうした補填を必要としない「一人歩きできる文章」ってのが書けたら凄いなぁと思うのですが、自分の場合は何かしらの補填を「言い訳」として付け足さないと外を歩かせるには忍びないところがあります。それはひとつ覚悟が足りていないと言うことかもしれませんし、あげくの果てに補填というツールだけが表現のふりをしてしまうこともあったり。そうなると「やっつけた」仕事になってしまいますね。
表現するか否かということについて、私は人間はとりたてて表現なんかしなくても生きていけなくてはいかんという気持ちがあります。表現というより営みというか。表現を餌とせずとも、利益や名声を追求せずに営んでいける心に満たされていたい。表現として歌、文字ではなく、営みとしての歌や文字。名も無き職人が作った陶器には表現よりもむしろ心がこもっているというような。その営みを蓄積して行かなければ、自分にとっての意味やストーリーも生まれてこないと。
営みという言葉が正確かどうかはわからないのですが、そこから見ると、ヨーロッパには生活の営みを感じるけれど、アメリカには「建国の営み」しか見えてこないと感じる自分がいます。土地を占拠し、そこに文化を持ち込み自国の力を築いていくというものをアメリカの本質に感じます。そこには夢のような憧れもあるのだけれど、芸術面を見てみると本流はヨーロッパだと感じてみたり。日本も敗戦で日本であることを失った面があると思うのですが、実は一番根っこが無いのはアメリカなのかもしれず、もはや開拓すべき対象を無理矢理作っている開拓マシンの暴走。日本には、アメリカのツールはたくさん入ってきたけれど、結局日本が持つブラックボックスを通そうとすればするほど、営みと合致しない面が出てきている。これって編集に関して言えば、ビジョンが「営み」にあるのか「開拓」にあるのか。seimjと一緒にやってきた連載なんかは、皆開拓ではありましたね。自分はもうアメリカウイルスに感染しまくっているということでしょう。やはり70年代の第一波の初期衝動が強く残っているということでしょう。あぁもう少し営みにしていかなければという反省ばかりに駆られてきましたよ(笑)

とりあえず、アメリカのつづきを読む前に、ちょっと頭を整理すべく書いてみました。ここには大いなる私の自己本位が横たわっています(笑)まぁCM中の発言みたいなものということで:-)

(m01)

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